

私が小学校の頃に父が戦死し、祖父もすでに他界していたため、戦後は女手ひとつで店を切り盛りする母親を助けながら、見慣れ聞き慣れでこの仕事を覚えました。昭和30年代になると川上峡も多くの行楽客でにぎわうようになり、名物の白玉饅頭も飛ぶように売れ始めました。当時はまだ母と2人でこつこつと手づくりしていたので、注文に追いつかず、店の前には順番待ちの列が50mくらい続くこともありました。
佐賀市の奥座敷といわれた川上峡は、“九州の嵐山”とうたわれるほどに風光明媚なところで、明治15年、初代が商売を始めた頃も四季折々に多くの人出があり、特に桜の頃は実相院のお経会にやって来る参拝客で大にぎわいだったようです。
その初代の味と製法を代々受け継いで120余年。私も「自分の代で味を落とさぬように」とそれだけを思ってやってきました。白玉饅頭のおいしさはうるち米粉の皮の、あのもっちりと歯切れのよい食感にありますが、その食感を出すのが特にむずかしいんです。
うるち米は臼で挽いたらコシがなくなるので、臼でついてつぶして粉にします。今は機械の手を借りていますが、昔は人力ですから大変な作業でした。蒸すのも一度だとうるち米粉独特のやわらかい食感が出ない。だから面倒でも“二度こね二度蒸し”なんです。
白玉饅頭は材料が単純なだけに、仕上がりにごまかしがききません。祖父はせっかくこねた生地も、気に入らなければ惜しげもなく捨てていたそうです。私も納得のいく出来というのは月に1、2度あるかないかでした。今は嫁婿である6代目が日々奮闘していますが、とにかくこの仕事は自分の体で覚えるしかありません。
ありがたいことに、白玉饅頭は今も昔も小さなお子さんからお年寄りまで幅広い年齢層の方々に愛されています。日本人好みの味なんでしょうかね。うちの若い者たちはきな粉やすりごまをまぶしたり、ごまをつけて揚げたりという食べ方もおすすめしているようですが、白玉饅頭はやはりそのまま食べるのがいちばん!夏はかち割り氷で冷やして食べるのもいいし、冬は表面をちょっと焦がしても香ばしくておいしいです。
時代の流れで川上峡周辺の環境もずいぶんと変わってしまいましたが、川上峡名物を代々愛してくださっているお客様がいらっしゃる限り、白玉饅頭一筋で頑張ってほしい。それが5代目として、子や孫に望むことです。 |
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| 私、5代目の吉村義清は昭和11年生まれ。今は6代目(右)の正則が吉野屋の暖簾を背負って日々奮闘中です。 |
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| 今の吉野屋があるのは、この母のおかげ。背中が丸くなるまで生涯現役で頑張ってくれました。 |
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| 官人橋を渡って実相院へ。4月のお経会には行楽気分で佐賀近郊から多くの参拝客が訪れました(写真は大正の頃)。 |
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| 今ではすっかりおなじみになった川上峡の鯉のぼりの吹流し。ほかにも8月の花火大会、灯籠流し、12月のロードレースなど楽しいイベントも。 |
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