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明治15年に佐賀市で材木業を営んでいた初代吉村清兵衛が、避暑地としてにぎわっていた川上峡名物として、白玉饅頭を売り出しました。
当時の川上峡は屋形船も多く出ていて、多くの人が集まっていました。それを見た初代清兵衛が多くの人たちに何か喜んでもらえる商売がないかと考え、400年前からお祭りやお祝い事用として地元に伝わっていた「まんじゅう」を白玉饅頭として商品化しました。 |
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| 白玉饅頭の由来は、神功皇后の妹、與止旦女(よどひめ)が川上神社に参られた際に献上された離菓子で「この様に白く玉のような子供を授かりたいものだ」と言われたことから、白玉饅頭と名付けられました。 |
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その後二代目 儀平、三代目 清八、四代目 義治、五代目に現経営者の義清と受け継がれ、現在は六代目の正則が現場を切り盛りしており、120年もの長きにわたってその味を守り続けています。
その間、添加物を使用しないこだわりの製法は一切変えることなく、佐賀産の厳選した上質米と北海道の小豆あんを秘伝の製造方法で作った白玉饅頭は、今では佐賀、川上峡の名物として皆様に可愛がってもらっています。 |
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白玉饅頭のルーツは中国南部の紹興団子(しょうこうだんご)にあるといわれています。また、朝鮮半島にも同じような松片(ソンピョン)という米の菓子があります。
紹興団子はゴマあんを入れるのが特徴ですが、外見は白玉饅頭にそっくり。古くから米文化が栄えた中国南部では家庭料理として親しまれています。
日本ではもちを食べるのは正月や慶事ですが、朝鮮半島では日本のお盆にあたる秋夕(しゅうせき)に松片をたべるそうです。
中国、朝鮮半島、日本と広く伝わってきた白玉饅頭は三国の文化交流のシンボル的なお菓子です。 |
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